タントラ原点を遡るバラモン教(ヨーガ成立以前)の経典②チャーンドーギヤ・ウパニシャッド全訳

チャーンドーギヤ・ウパニシャッド

第一章(第1プラパータカ)全訳


1-1(ウドギータ讃)

人はウドギータ(聖音)を敬意をもって礼拝すべきである
ウドギータとは**オーム(OM)**である。

なぜなら、オームによって歌は歌われるからである。
これについて、次のように説明される。


1-2(神々と悪魔の争い)

かつて、**神々と悪魔(アスラ)**は争っていた。
神々はこう考えた。

ウドギータをもって悪魔たちを打ち負かそう

彼らは呼吸(プラーナ)をウドギータとして崇めた。
しかし悪魔たちはそれを打ち破った。
なぜなら、それは鼻による呼吸であったからである。

同様に、
目、耳、心、言葉もまた崇拝されたが、
すべて悪魔に破られた


1-3(真のウドギータ)

最後に、口の中にある呼吸が崇められた。
それは主たるプラーナであった。

悪魔たちはそれを打ち破ろうとしたが、
できなかった

彼らは砕け散り、
石が岩に打ち砕かれるように滅びた

それゆえ、
このプラーナこそがウドギータである


1-4(プラーナの優位)

この主たるプラーナは、
すべての感覚器官を養う

目は見なくとも生きる。
耳は聞かなくとも生きる。
言葉を失っても生きる。

しかし、
プラーナが去れば、人は生きられない


1-5(宇宙的対応)

このプラーナは
太陽である

太陽が昇るとき、
すべての生き物のプラーナが活動する。

太陽が沈むとき、
すべては静まる。

それゆえ、
太陽は外なるプラーナであり、
内なるプラーナは人の中にある


1-6(音節の象徴)

オームは三つの音節から成る。

  • :言葉
  • :呼吸
  • :心

これらが調和するとき、
歌(ウドギータ)が完成する


1-7(不死と死)

神々は
不死を求めてウドギータを礼拝した

悪魔は
死に執着した

それゆえ、
歌う者が正しくオームを礼拝するなら、
彼は不死に到達する


1-8(食物と呼吸)

食物は
呼吸によって食べられる

呼吸は
食物によって保たれる

この二つは
互いに支え合っている。


1-9(祭式的象徴)

このウドギータは
供犠の柱であり、
祭火であり、
祭式そのものである

それを知る者は、
祭式の果報をすべて得る


1-10(知と無知)

正しく知って行われたウドギータは、
光をもたらす

知らずに行われたものは、
無力である

それゆえ、
知をもって礼拝せよ


1-11(内的礼拝)

このウドギータは
外にあるのではない

それは
人の内にあるプラーナである。

それを内に観ずる者は、
外界に振り回されない


1-12(瞑想の果)

このようにウドギータを知り、
礼拝する者は、

  • 子孫に恵まれ
  • 財に満ち
  • 名声を得
  • 天界に至る

1-13(結語)

これが
ウドギータの教えである

これを知る者は、
神々と同じ世界に住む

第二章(第2プラパータカ)全文訳


2-1(サーマ歌と神々)

ウドギータは、
サーマ讃歌の本質である。

サーマ讃歌は、
神々のもとへ至る舟である。

それを正しく知る者は、
神々の世界へ至る


2-2(ウドギータの諸側面)

ウドギータには
多くの側面がある。

  • 神々にとっては「甘露」
  • 人間にとっては「食物」
  • 祖霊にとっては「供物」

このように、
同一のものが多様に現れる


2-3(言葉としてのウドギータ)

ウドギータは
**言葉(ヴァーク)**である。

言葉は
真理を明らかにする力である。

それを誤って用いれば、
虚偽を生む


2-4(太陽としてのウドギータ)

ウドギータは
太陽である

太陽は
すべての存在を照らし、
区別なく養う。

それゆえ、
ウドギータは
宇宙的生命原理である。


2-5(雨としてのウドギータ)

ウドギータは
雨である

雨が降ると、
食物が生まれる。

それゆえ、
ウドギータは食物の源である。


2-6(大地としてのウドギータ)

ウドギータは
大地である

大地は
すべてを支え、
拒まない。

同様に、
ウドギータは
万物を支える


2-7(人間における対応)

人間において、
ウドギータは
**呼吸(プラーナ)**である。

呼吸があるかぎり、
人は生きる。

それが止まれば、
すべては終わる。


2-8(感覚と呼吸)

目は見る。
耳は聞く。
心は考える。

しかし、
すべてはプラーナに依存している


2-9(供犠としてのウドギータ)

供犠において、
ウドギータは
祭火の中心である。

それを知らずに行う供犠は、
空虚である


2-10(音節の解釈)

オームは
三つの音節から成る。

  • ア:始まり
  • ウ:継続
  • ム:終息

これを知る者は、
生成・存続・消滅を超える


2-11(心の浄化)

心が乱れている者は、
ウドギータを理解できない。

心が静まるとき、
ウドギータは
自ずから顕れる


2-12(師の重要性)

この教えは
師から弟子へ
伝えられるべきものである。

書物のみでは、
完全には理解できない


2-13(内的瞑想)

外に向かう者は
音を追い求める。

内に向かう者は
沈黙の中の音を聞く。

それが
真のウドギータである。


2-14(生と死)

生は
呼吸によって保たれる。

死は
呼吸の離脱である。

それを知る者は、
死を恐れない


2-15(祖霊の道)

祖霊の道を行く者は、
月へ至る

そこから再び、
この世へ戻る。


2-16(神々の道)

知をもつ者は、
太陽の道を行く

彼は
再生しない


2-17(功徳と知)

功徳のみを積む者は、
再び生まれる。

知を得た者は、
解脱へ至る


2-18(歌の正しい唱え方)

歌は
正確に、
敬意をもって
唱えられるべきである。

乱れた歌は、
果報を失う


2-19(沈黙の価値)

沈黙は
最高の歌である。

沈黙において、
ウドギータは
完成する。


2-20(個我と普遍)

個人の呼吸は
普遍の呼吸と
本質的に同一である。


2-21(瞑想者の境地)

このように理解し、
瞑想する者は、

  • 心安らぎ
  • 感覚に縛られず
  • 真理に住する

2-22(世界の保持)

この知によって、
世界は保たれている。

知られなければ、
世界は崩れる。


2-23(教えの完成)

これが
第二章の教えである。


2-24(結語)

ウドギータを知る者は、
生を知り、
死を超える。

第三章(第3プラパータカ)全訳


3-1 太陽としてのウドギータ

この世界において、
太陽こそウドギータである。

人々は言う。
「太陽は昇り、
すべての存在のために歌う」と。

それゆえ、
太陽はウドギータと呼ばれる。


3-2 太陽と闇の戦い

太陽が昇るとき、
闇は消え去る。

闇は悪であり、
太陽は善である。

太陽が歌うとき、
悪は滅びる。


3-3 死の克服としての知

このように知る者は、
悪に打ち勝つ。

悪は彼に近づくことができない。


3-4 太陽と時間

太陽は
時間の創始者である。

年は太陽から生じ、
月もまた太陽から生じる。


3-5 一日の構造

太陽が昇るとき、
それは朝の供犠である。

太陽が中天にあるとき、
それは昼の供犠である。

太陽が沈むとき、
それは夕の供犠である。


3-6 人間の寿命との対応

人の寿命もまた、
この三つに分かれる。

  • 少年期
  • 壮年期
  • 老年期

これらは
太陽の三相に対応する。


3-7 死後の道(導入)

人は死後、
二つの道のいずれかを行く。

  • 神々の道
  • 祖霊の道

3-8 祖霊の道(ピトリ・ヤーナ)

供犠と功徳を積んだ者は、

  • 暗月
  • 南行の半年

を経て、
祖霊の世界へ至る。

そこに住み、
再びこの世へ戻る。


3-9 神々の道(デーヴァ・ヤーナ)

真理を知る者は、

  • 明月
  • 北行の半年

を経て、
太陽へ至る。


3-10 太陽の門

太陽には
門がある。

それを知る者のみが、
通過できる。


3-11 再生なき境地

太陽を超えた者は、
再び生まれない。

彼は
ブラフマンに合一する。


3-12 供犠の内在化

供犠とは、
外に行うものではない。

人の内に行われる。


3-13 呼吸としての供犠

呼吸は供犠である。

吸うことは捧げることであり、
吐くことは受け取ることである。


3-14 心としての供犠

心は祭壇であり、
思考は供物である。


3-15 真の供犠

外的供犠を行わずとも、
このことを知る者は
真に供犠を行う。


3-16 太陽の瞑想

太陽を
ブラフマンとして
瞑想する者は、

光に包まれ、
恐れを離れる。


3-17 死の超克

彼にとって
死はもはや死ではない。

それは
通過点となる。


3-18 知と行為の差異

行為は果報をもたらす。

知は
不死をもたらす。


3-19 結語

このように、
太陽をウドギータとして知る者は、

  • 悪に勝ち
  • 死を超え
  • 再生しない

これが
第三章の教えである。

第四章(第4プラパータカ)全訳


4-1 ジャーナシュルティ王とラーイクヴァ

かつて、
ジャーナシュルティ・パウターヤーナ王がいた。

彼は施与に富み、
多くの人々を養っていた。


4-2 白鳥の言葉

あるとき、
空を飛ぶ二羽の白鳥が語った。

「見よ、ジャーナシュルティ王の栄光は
大地を満たしている。」

すると一羽が言った。

「しかし、
ラーイクヴァを知るか。


4-3 ラーイクヴァの優越

「ラーイクヴァを知る者は、
すべてを知る。」

「彼のもとへ至らぬ者は、
真理を得ない。」


4-4 王の探求

この言葉を聞いた王は、
ラーイクヴァを探させた。

だが、
彼は見つからなかった。


4-5 ラーイクヴァの姿

やがて、
壊れた荷車の下に座る
貧しい男が見つかった。

彼こそ
ラーイクヴァであった。


4-6 贈り物の拒絶

王は多くの財を与えようとした。

だがラーイクヴァは言った。

「これらは取らぬ。
知を財で買うな。」


4-7 王の娘

王はついに
娘と村々を捧げた。

するとラーイクヴァは語り始めた。


4-8 風としてのブラフマン

風(ヴァーユ)こそがブラフマンである。

すべての存在は
風に帰る。


4-9 呼吸の至高性

呼吸が止まれば、
声も、目も、耳も、心も止まる。

ゆえに、
呼吸は最上である。


4-10 ウドギータの真義

ウドギータとは、
声ではない。

呼吸そのものがウドギータである。


4-11 知る者の果報

このことを知る者は、
すべての供犠の果報を得る。


4-12 サティヤカーマ・ジャーバーラ

サティヤカーマは師のもとへ行った。

師は問うた。

「汝は誰の子か。」


4-13 真実の告白

彼は答えた。

「母は
『私には分からぬ』と言いました。」


4-14 真理への資格

師は言った。

「汝は
バラモンである。

真実を語る者だからだ。」


4-15 自然による教え

牛、火、白鳥、潜水鳥が
彼に語った。


4-16 四方向の光

四方の光が
ブラフマンである。


4-17 結語

このように知る者は、

  • 真理に立ち
  • 再生を超え
  • 光に至る

これが
第四章の教えである。

第五章(第5プラパータカ)全訳


5-1 五つの問い

プラヴァーハナ・ジャイヴァリ王は
五人の学者たちに問いかけた。

「汝らはこの五つを知っているか。

  1. 人はどこから来るのか
  2. 死後どこへ行くのか
  3. なぜ再びこの世に戻るのか
  4. 供犠はいかに天に至るか
  5. 雨はいかに生じるか」

彼らは答えられなかった。


5-2 シャヴェータケートゥの無知

その中に
シャヴェータケートゥがいた。

彼も答えられなかった。


5-3 父ウッダーラカの敗北

父ウッダーラカは
王のもとを訪れた。

だが王は言った。

「この知は
王族の知であり、
バラモンには伝えられてこなかった。」


5-4 王の決意

それでも王は語り始めた。

「この知は
真理であるから
汝に授けよう。」


五火説(pañcāgni-vidyā)


5-5 第一の火:天界

天界は火である。

太陽がその薪であり、
月がその燃料である。


5-6 雨の生成

神々が供物を捧げると、
が生じる。


5-7 第二の火:雲界

雲は火である。

雷が薪であり、
稲妻が燃料である。


5-8 雨は地へ降る

供犠によって
雨は地へ降る。


5-9 第三の火:大地

大地は火である。

植物が薪であり、
果実が燃料である。


5-10 食物の生成

そこから
食物が生じる。


5-11 第四の火:人間

人は火である。

口が薪であり、
言葉が燃料である。


5-12 精液の形成

食物から
精液が生じる。


5-13 第五の火:女性

女性は火である。

子宮が薪であり、
性交が燃料である。


5-14 胎児の誕生

そこから
胎児が生じる。


死後の二つの道


5-15 光の道(神道)

知を得た者は、

  • 明るい半月
  • 北行
  • 太陽
  • 雷界

を経て
ブラフマンに至る。


5-16 煙の道(祖霊道)

供犠のみを行った者は、

  • 暗い半月
  • 南行
  • 祖霊界

に至り、
再び地上に戻る。


5-17 再生の理由

雨となり、
食物となり、
再び人として生まれる。


5-18 第三の道

知も供犠もない者は、

  • 昆虫
  • 動物

として生まれ変わる。


解脱の教え


5-19 知の優位

供犠は再生をもたらす。

知は解脱をもたらす。


5-20 王の結語

「これが
五火説である。」


5-21 父への帰還

シャヴェータケートゥは
父のもとへ帰った。


5-22 沈黙の知

父は語らなかった。

知は
言葉を超えるからである。


5-23 真理を知る者

このことを知る者は、

  • 生を超え
  • 死を超え
  • 再生を超える

5-24 章の結語

これが
第五章の教えである。

第六章(第6プラパータカ)全訳


6-1 有(sat)の教説

ウッダーラカ・アールニは
その子シャヴェータケートゥに語った。

「我が子よ、教えを受けたか。」

「はい、尊師よ。」

父は言った。

「それでは、
知られることによってすべてが知られる
その教えを理解しているか。」


6-2 一なる有

「初めに、我が子よ、
ただ有(sat)のみがあった。

それは一であり、
二はなかった。」

「ある者たちは言う、
初めに非有(asat)があった、と。」

「しかし、我が子よ、
非有から有が生じることがあろうか。


6-3 有から多へ

「有は思惟した。

『多となろう。
生じよう。』

かくして
火・水・食物が生じた。」


6-4 三要素の展開

火は思惟した。

『多となろう。』

水を生じさせた。

水は思惟した。

『多となろう。』

食物を生じさせた。


6-5 三要素の混合

それらは互いに入り混じった。

火は水と食物の中に入り、
水は火と食物の中に入り、
食物は火と水の中に入った。


6-6 身体と三要素

「我が子よ、
身体は三要素から成る。

  • 赤は火
  • 白は水
  • 黒は食物

6-7 食と心

「食は三分される。

  • 粗は糞となり
  • 中は肉となり
  • 微は心となる」

6-8 水と生命

「水も三分される。

  • 粗は尿
  • 中は血
  • 微は呼気(プラーナ)」

6-9 火と知性

「火も三分される。

  • 粗は骨
  • 中は髄
  • 微は言葉」

6-10 眠りの教え

「眠りにおいて、
人は有に帰る。」

「そのとき彼は
自分自身を知らない。」


6-11 蜂の譬え

「蜂は
多くの花から蜜を集める。」

「しかし蜜は
『私はこの花のものだ』とは言わない。」


6-12 河の譬え

「河は
海に流れ込むと
名と形を失う。」

「それでも
存在は失われない。」


6-13 樹の譬え

父は一本の樹を示した。

「この樹を切れ。」

「切りました。」

「生命はどこにある。」

「見えません。」

「しかし、
見えないものによって生きている。


6-14 有は遍在する

「この微細な本質こそが
すべての存在の基である。


6-15 汝はそれなり(tat tvam asi)

父は言った。

「それが真実である。」

「それが自己(ātman)である。」

『汝はそれなり(tat tvam asi)』


6-16 章の結語

「我が子よ、
この教えを理解した者は
迷いを超える。」

「これが第六章である。」

第七章(第7プラパータカ)全訳


7-1 ナーラダの告白

ナーラダ
サナトクマーラのもとへ行き、言った。

「尊師よ、
どうか私を教えてください。」


7-2 知識の限界

サナトクマーラは言った。

「汝は何を学んできたのか。」

ナーラダは答えた。

「リグ・ヴェーダ、
ヤジュル・ヴェーダ、
サーマ・ヴェーダ、
アタルヴァ・ヴェーダ、
文法、祭式、
数学、天文、
戦術、音楽、
医学、
論理、
倫理、
言語、
呪術、
その他多くを学びました。」


7-3 悲しみの告白

ナーラダは言った。

「しかし、尊師よ、
私は悲しみを超えていません。


7-4 名(nāman)

サナトクマーラは言った。

「汝が知るものは
すべてにすぎない。」

「名を知る者は、
名の範囲にとどまる。」


7-5 言葉(vāc)

「名は言葉に依存する。」

「言葉は名より大きい。」


7-6 心(manas)

「言葉は心に依存する。」

「心は言葉より大きい。」


7-7 意志(saṃkalpa)

「心は意志に依存する。」

「意志は心より大きい。」


7-8 思惟(citta)

「意志は思惟に依存する。」

「思惟は意志より大きい。」


7-9 瞑想(dhyāna)

「思惟は瞑想に依存する。」

「瞑想は思惟より大きい。」


7-10 理解(vijñāna)

「瞑想は理解に依存する。」

「理解は瞑想より大きい。」


7-11 力(bala)

「理解は力に依存する。」

「力は理解より大きい。」


7-12 食(anna)

「力は食に依存する。」

「食は力より大きい。」


7-13 水(āpas)

「食は水に依存する。」

「水は食より大きい。」


7-14 火(tejas)

「水は火に依存する。」

「火は水より大きい。」


7-15 空間(ākāśa)

「火は空間に依存する。」

「空間は火より大きい。」


7-16 記憶(smara)

「空間は記憶に依存する。」

「記憶は空間より大きい。」


7-17 希望(āśā)

「記憶は希望に依存する。」

「希望は記憶より大きい。」


7-18 生命(prāṇa)

「希望は生命に依存する。」

「生命は希望より大きい。」


7-19 真理(satya)

「生命は真理に依存する。」

「真理は生命より大きい。」


7-20 無限(bhūman)

サナトクマーラは言った。

無限(bhūman)こそが至高である。

「そこには
他を見ることも、
他を聞くことも、
他を知ることもない。」


7-21 有限の苦

「有限の中に幸福はない。」

幸福は無限の中にのみある。


7-22 無限の定義

「無限とは、
これ以上のものがないこと。


7-23 無限と自己

「無限は
自己(ātman)である。」


7-24 自己の遍在

「自己は
上にも下にも
前にも後にもある。」


7-25 自由

「これを知る者は、
自由に行き、
自由に留まり、
自由に語る。」


7-26 章の結語

「これが
無限の教えである。」

「悲しみは
ここに終わる。」

8-1 心臓の中の空間

この身体の中に、
**心臓(hṛdaya)**がある。

その中に、
**小さな空間(dahara-ākāśa)**がある。


8-2 その中にあるもの

その中にあるものは、
探求されるべきであり、
知られるべきである。


8-3 外界との同一性

その空間にあるものは、
天と地のすべてと等しい。


8-4 疑問への答え

もし人が言うならば、

「心臓の空間は小さい。
そこに何が入るというのか」


8-5 真理の転倒

そうではない。

そこには
天と地、
火と風、
太陽と月、
雷と星、
存在するものすべてがある。


8-6 老いと死を超えるもの

老いも、死も、
悲しみも、悪も、
そこには入らない。


8-7 真の自己

それは
**真の自己(ātman)**である。


8-8 欲望の完成

そこでは
欲望は欲望のままに満たされる。


8-9 師の教えの始まり

サナトクマーラは言った。

これが自己である。
これを探究せよ。」


8-10 弟子たちの誤解

弟子たちは思った。

「これは身体そのものだ。」


8-11 身体否定

師は言った。

「身体は死すべきもの。
それは自己ではない。」


8-12 夢の自己

夢の中で
人は王となり、
神となり、
望む世界を行き来する。


8-13 夢の限界

しかし夢の自己も、
完全ではない。


8-14 熟睡の自己

熟睡において、
人は何も見ず、
何も欲さず、
何も恐れない。


8-15 熟睡と真理

この状態において、
人は自己と合一している。


8-16 しかし未完成

だが、
それはまだ完全な認識ではない。


8-17 死後の道(光の道)

自己を知る者は、
死後、
**光の道(devayāna)**を行く。


8-18 火へ

彼は火へ行き、
火から昼へ行き、
昼から白半月へ行く。


8-19 月から年へ

白半月から
太陽の道へ行き、
年へ行き、
神々の世界へ行く。


8-20 ブラフマン界

そして
ブラフマンの世界へ至る。


8-21 帰還なき境地

そこから
再びこの世に戻ることはない。


8-22 無知の者の道

しかし自己を知らぬ者は、
煙の道を行く。


8-23 闇の道

夜へ、
黒半月へ、
祖霊の世界へ。


8-24 再生

彼らは
再びこの世へ戻る。


8-25 解脱者の自由

自己を知る者は、
生死の輪を超える。


8-26 自己の属性

その自己は、

  • 老いない
  • 病まない
  • 死なない
  • 欲望が真となる

8-27 最終宣言

これが自己である。

これが不死である。


8-28 章の結語

これを知る者は、
悲しみを超える。


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